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「金属魂」的、FinePix X100のある生活(金属と皮の濃密な関係)矢野渉の「金属魂」的、デジカメ試用記(1/3 ページ)

» 2011年04月21日 09時48分 公開
[矢野渉,ITmedia]

ポチっとやっちまった

 もう絶対に買ってやるぞ、と意気込んでいたわけではないのだ、FinePix X100は。たまたま富士フイルム本社での取材に同行する機会があり、最終プロトタイプに触れた後も正直気持ちは高ぶらなかった。レンズ交換ができないしなぁとか、ライカなどに比べるとトップカバーのマグネシウム合金は重厚感に欠けるよな、とかマイナスな部分ばかりをあげつらっていた。

 光学ファインダーとEVFの切り替えができるハイブリッドビューファインダーは確かに素晴らしい。富士フイルムにしかできない発想と、技術力があってこそ実現できたものだろう。ただ、心に引っ掛っていたのは富士フイルムの商品企画の方が言っていた「昔自分の親が大事にしていたカメラをイメージしてもらって、若い世代にも使って欲しい」という一言だった。

 はっきり言って、若い世代がファインダーと撮影用レンズが独立したビューファインダーカメラの本質、本当の面白さを理解できるとは思えない。僕の尊敬するアンリ・カルティエ・ブレッソンが「決定的瞬間」をモノにするためになぜビューファインダーフィルムカメラを使ったのか、デジカメしか知らない若者にその理由をくみ取れるはずがないのだ。ミラーを内蔵する一眼レフに比べて小型のボディ、ミラーリターン音のない静かなシャッター音、ノーファインダーでのスナップのしやすさ。この辺の感覚は説明しても体感として解らないだろう。

 X100は「レトロな雰囲気で作られたデジカメ」ではない。それならば光学ファインダーは安価な素通しのアルバダ式で充分なはずだが、X100はちゃんとパララックス補正(近距離補正)でファインダー枠がレンズに向かって移動して行く。かなり本気なのである。

 このような作り込まれたデジカメを正しく評価できるのは、実際にビューファインダーフィルムカメラを使ったことのある世代だ。つまり僕の世代以上、その人々のためにX100は生まれたのだ。

 ならば、僕が買わなければなるまいと思った。X100をあの頃のように使ってあげようと思ったのだ。今我慢したとしても、いつかはこらえきれずに購入することは目に見えている。だから、ネットでポチっとやっちまった。

photo FinePix X100

 発売日の3日後、3月8日にX100は届いた。プロトタイプを触っていたからそれほどの感激はない。その後すぐに東日本大震災があり「写真どころじゃない」心境だったのだが、翌週に専用レンズフード「LH-X100」が到着。早速装着する。

photo X100に専用レンズフード「LH-X100」を装着。レンズとの一体感がすばらしい

 どうやらX100はこのカタチがデフォルトらしい。先に向かって細くなり、根元の部分に光学ファインダーの視界を邪魔しないようにスリットの入ったフードはビューファインダーカメラ特有のもので、ある年齢より上のカメラ好きを「その気に」させる。

 ただこのフードは、まずレンズ先端のリングを外し、そこに専用アダプターをねじ込み、そのうえでアダプター周りの突起にフードを引っ掛けるというややこしい構造になっている。一度取り付けたら外したくないと思わせるほど面倒だ。

 しばらく使ってみて、写真のクオリティには満足した。6群8枚の単焦点35ミリ相当フジノンレンズ、最新の映像エンジン、APS-CサイズのCMOSときたら悪いはずがない。しかし、どうもしっくりこない。使い込むほどに小さな違和感が残るのだ。

 ある日ふとその理由に気付いた。「皮」が足りないんだと。専用レザーケースがまだ届いていなかったのだ。品薄で到着がいつになるか分からないという連絡は入っていたが、もう数週間経っている。僕はその間、X100を裸で持ち歩いていたわけなのだ。

 X100の外観は、ライカなどのずっしりとした「金属感」ではなく、むしろ昭和30年代後半から40年代にかけての高度成長期に発売された日本製レンジファインダーカメラをベースにしていると思われる。だとすればレザーケースは欠かせないアイテムだ。

 あの頃、一家の長であるお父さんたちは首から下げたカメラのレザーケースを恭しくひらき、フロントカバーをカメラの下にプラプラさせながら家族写真を撮っていたものだ。僕の感じていた違和感はこれだった。日本人はカメラを大切に使う民族でなければならないのだ。

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