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70万枚(推定)の写真を洗浄・複写する「思い出サルベージ」を手伝ってきたビジネスパーソンボランティア(3/3 ページ)

» 2011年07月28日 11時00分 公開
[まつもとあつしBusiness Media 誠]
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想定外の「思い出サルベージ」がIT活用の本丸だった

 日本社会情報学会に所属し、「思い出サルベージ」を最初に提案した溝口佑爾(みぞぐち・ゆうじ)さんに話を聞いた。溝口さんは、京都大学大学院の博士課程に在籍し、災害情報支援チーム事務局長として、現在は京都と山元町を往復する日々を送っている。

 当初は、いわゆる「情報ボランティア」として避難所にPCを設置し、インターネットの回復と並行して、罹災(りさい)証明書のダウンロードなどにITの活用を進めたという。役所に出かけて長い行列に並ばなくてもよくなるため、被災者には好評だった。また車を失った人が中古車サイトにアクセスし、比較的早い時期に車を手に入れることもできたという(東北地方では車は移動手段としてとても重要だ)。

 また、Googleマップがいち早く被災地の現状を反映したため、現地の情勢把握にも威力を発揮した。「流されてしまった家がGoogleマップで見つかったこともあります」と溝口さん。被災した家が、海岸線から何メートル離れているか、避難所に居ながら確認できるのも貴重だったという。自治体の復興計画の中で海岸からの距離によっては新たに建物が建てられないこともあるからだ。

一方、Googleストリートビューでは津波で被害を受ける前の被災地の様子を見ることができる。被災者と一緒に在りし日の姿を見ていると思わず涙ぐむことも

 主にそういったITサポートとして避難所に通っていく中で、被災者から「津波で傷んでしまった写真を、スキャンしてPCに取り込んで欲しい」と相談を受けたことが「思い出サルベージ」のきっかけ――と溝口さんは振り返る。傷みが進んでいた写真がきれいになって、PCの中にデータとして保存できたときに、その被災者が「津波で亡くなった子供がこれできちんと記憶に残る形になった」と喜んでくれたのだ。

 当時、消防・自衛隊ががれき撤去の際発見した写真やアルバムは、小学校の体育館いっぱいに集積していた。溝口さんら現地ボランティアに写真の専門知識はなかった。町役場と自衛隊に掛け合い、立ち入り禁止区域にあったその場所から、写真を移動して「写真と洗浄と複写」という未体験の取り組みが始まったのだ。

 富士フイルムの協力を得て、写真洗浄の講習を受けた。それまでは、泥を落とすために刷毛で写真の表面を削り取ってしまうこともあったが、「写真の洗浄は水中で行うもの」というのもそこではじめて得たノウハウだ。またインターネットを通じてこの活動を知ったプロの写真家が現地にスタッフとして入り、複写作業を先導してくれた。そこからワークフローをくみ上げて70万点の大量の写真・アルバムの洗浄・複写を終えるには、少数のスタッフと被災地の人々では手が回らない。多くの人手が必要だったが、溝口さんらは、ブロガーのいしたにまさきさんらの助言を受けながら、Twitterやブログで活動の存在を呼びかけ、多くのボランティアの参加を得ることができた。

 その甲斐あって山元町の写真の複写はほぼ完了したが「まだまだ他の地域では、ワークフローが確立できていなかったり、人手が足りてない場所も多いはず」と溝口さん。山元町でのデータ化の作業や、他の地域の「思い出サルベージ」的な活動にも関心をもってもらいたいと考えている。


 まだまだ被災地ではボランティア活動を広く求めている。いままで力仕事に二の足を踏んでいた人も、ネット上で検索すると意外と「自分でもできること」があることに驚かされるはずだ。ぜひ一歩を踏み出してほしい。興味のある人は日本社会情報学会災害支援チーム(JSIS-BJK)までご連絡を。

筆者はゴールデンウィークの東松島に続き、2回目のボランティア参加(写真データ入力中)。また折りを見つけて参加したい

著者紹介:まつもとあつし

 ジャーナリスト・プロデューサー。ASCII.jpにて「メディア維新を行く」ダ・ヴィンチ電子部にて「電子書籍最前線」連載中。著書に『スマートデバイスが生む商機』(インプレスジャパン)『生き残るメディア死ぬメディア』(アスキー新書)など。取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進めている。DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士。


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