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» 2011年11月22日 09時36分 UPDATE

山形豪・自然写真撮影紀:写真のデジタル化で失ったもの

急速に進んだ写真のデジタル化は大きな利便性をもたらした。フィルムに戻ることはもはや無意味だが、電子機器と化したカメラには人間と機械、そして写真との物理的なつながりが欠落している気がするのだ。

[山形豪,ITmedia]

 昨今のデジタル一眼レフに代表される「写真撮影機器」の数々は、どれも実に高性能だ。新しい技術を搭載したカメラの登場は、これまで想像すらしなかったような写真の撮影を可能にしてきた。また、パソコンやケータイ、ネットの普及、ソーシャルメディアの誕生という流れの中で、写真の使い方、見せ方も大きく変化した。表現手段の多様化や大衆化という意味では、喜ばしい変化と言えるだろう。

 我々フォトグラファーも時代の流れに合わせてデジタルに移行してきた。写真のデジタル化がもたらした利便性や可能性は絶大であり、この期に及んでフィルムに戻るなど、到底不可能だし無意味だ。撮影者だけでなく、クライアントやマーケットの要求もテクノロジーの進歩とともに変化しているのでなおさらだ。

photo 夜間、スポットライトの明かりだけでこんな写真が撮れるのもデジタルならでは。南アフリカ、クルーガー国立公園で撮影したライオンの子ども。使用機材:ニコンD700、AF-S 500mmf4II、1/160、F4.5、ISO3200

 アフリカなどで野生動物を撮り続けている私自身、デジタル化によって多大な恩恵を受けていることは疑いようが無い。以前にも書いたが(→山形豪・自然写真撮影紀:アフリカの夜空とフィールドワーク)、大量のフィルムを持ち運ぶ煩わしさや、光量不足を理由に撮影を諦める事態から開放された点は実にありがたい。

 しかし、大きな変革がもたらすのは必ずしもありがたいものばかりではない。生き馬の目を抜くがごときカメラメーカー同士の生存競争は、プロダクト・ライフサイクルの極端な短縮という副産物を生み出した。デジタル一眼レフカメラも、パソコンやケータイ同様、矢継ぎ早に新モデルが登場する。ひとつのカメラを使い倒す前に、より高性能の機種が登場し買い替えを余儀なくされる状況は、決して好ましいものではない。

 かく言う私も、2003年にデジタルで撮影を始めて以来、ニコン「D100」「D2H」「D200」「D300」と乗り換え、現在では「D700」と「D7000」を使用している。ひとつ売り払っては次を買いといった具合で、後生大事にカメラを手元に置いておく余裕もない。性能の向上は朗報だが、回転が速すぎると感じているのは私だけではあるまい。

 経済的負担以外にも、最近のデジタル一眼レフカメラには釈然としないものを感じる。デジタルに移行する前は、「F3T」や「F4S」「F5」といった機種を何年にも渡り愛用していた。また、写真のイロハを教えてくれたのは父から譲り受けた「ニコンF」だ。使い続けるうちに手になじんでいったそれらのカメラには今でも愛着があり、もはや仕事の撮影で使うことはないものの、たまにキャビネットから取り出して遊んでいる。

photo 父親から譲り受けたニコンF。いまだに問題なく作動する、素晴らしいカメラである

 自分や家族の歩みとともにあり続けたカメラたちには、単なるモノとは違う価値がある。キズや凹みのひとつひとつにすら、思い出がしみ込んでいるのだ。下らない感傷主義だと笑う人もいるだろうが、写真を撮ること自体、多かれ少なかれ個人の感情や感傷に基づく行為だ。それを可能にしてくれるカメラという存在に、特別な思いを寄せるのは当然だろう。

 ところが、昨今のデジタルカメラには、そのような感情を抱かせる何かが足りない気がする。単なる製品の耐久性とは別次元の、デジタル特有のはかなさというか、長い年月の経過に耐え得るだけのDNAのようなものが備わっていないように思われてならないのだ。これはカメラだけでなく、写真そのもののあり方にも関係している。

photo 1997年にニコン「F3T」で撮影したアフリカゾウ。レンズは500mm f4P。ジンバブエ、フワンゲ国立公園にて

 写真がフィルムという物質的存在から、磁石を近付けただけで消え去ってしまう、もろいバイナリデータに変化した。いくら多重バックアップを取り、クラウドにデータを乗っけてみたところで、結局のところ実体のない1と0の集合でしかない。その電子情報を作り出すのがデジカメだ。つまりカメラが光のA/D変換を行う電子機器になってしまったのだ。そこにはフィルムカメラの持つ、人間と機械、そして写真との物理的なつながりが欠落している。私がデジタルカメラにいまいち愛着を抱ききれない理由はその辺りにあるのかもしれない。

 フィルムで写真を撮った経験のない方はこのような悩みとは無縁であろう。昭和時代に生まれたアナログ人間による、他愛(たあい)もないぼやきであることは重々承知の上での発言であることをご了承いただければ幸いである。

著者プロフィール

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山形豪(やまがた ごう) 1974年、群馬県生まれ。少年時代を中米グアテマラ、西アフリカのブルキナファソ、トーゴで過ごす。国際基督教大学高校を卒業後、東アフリカのタンザニアに渡り自然写真を撮り始める。イギリス、イーストアングリア大学開発学部卒業。帰国後、フリーの写真家となる。以来、南部アフリカやインドで野生動物、風景、人物など多彩な被写体を追い続けながら、サファリツアーの撮影ガイドとしても活動している。オフィシャルサイトはGoYamagata.comこちら

【お知らせ】山形氏の新著として、地球の歩き方GemStoneシリーズから「南アフリカ自然紀行・野生動物とサファリの魅力」と題したガイドブックが出版されました。南アフリカの自然を紹介する、写真中心のビジュアルガイドです(ダイヤモンド社刊)


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