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数万枚の中から写真をセレクトする、という厄介事山形豪・自然写真撮影紀

写真がデジタル化してからというもの、シャッターを切ることにためらいを持たずに済むようになったが、その先には写真のセレクトという気の遠くなるような作業が待ち構えている。

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 アフリカのフィールドに出ているときは、ひたすら動物たちを追い求め、少しでも琴線に触れた場面に対しては無我夢中でカメラを向けている。ファインダーをのぞいて構図を決め、ピントを合わせたら、大抵は高速で連写を繰り返す。動物のアクションシーンを撮ろうとすると、シャッターを一回切っただけで思い通りの結果が出ることはまずないからだ。 

山形豪 自然写真撮影紀
ジャンプするインパラ。数十枚連写したうちの一枚。ボツワナ、マシャトゥ動物保護区。絞り優先オート(F9.0、1/400秒)、ISO400、カメラ:ニコンD4、レンズ:AF-S NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6G ED VR

 例えば、走りながら時折ジャンプを繰り返すインパラが、放物線の頂点に至った瞬間を撮りたいとする。光線や相手の走る向きなどの諸条件が全てそろったとして、シャッターを一回だけ切って思い通りの結果を得るのは、不可能ではないにしろ、成功率の観点から見るとあまり現実的な選択ではない。相手をファインダーに捕らえ続けながら連写を続け、あとは運を天に任せるほうが確実だ。飛び立つ鳥の、羽を目いっぱい広げた瞬間を狙う時なども同様だ。

山形豪 自然写真撮影紀
飛び立つサンショクウミワシ。ボツワナ、マシャトゥ動物保護区。絞り優先オート(F5.6、1/2000秒)、ISO800、カメラ:ニコンD4、レンズ:AF-S NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6G ED VR

 ハイエンド一眼レフボディと高速メモリーカードの組み合わせがあれば、秒間10コマ以上の連写速度で、ピント合わせをカメラに任せたまま、十数秒間シャッターを切り続けられる。手でピントを合わせ、ワンカットごとにフィルムを巻き上げて、一撃必中の決定的瞬間を狙っていたロバート・キャパやアンリ・カルティエ・ブレッソンの時代とはいささか状況が異なり、アクションシーンの撮影成功率は格段に向上した。

 しかし、撮影が手軽になった事実を手放しで喜ぶわけにもいかない。技術の進歩がもたらした撮影手法の変革は、ある程度練習すれば誰にでもそれなりの写真が撮れる可能性をくれた一方で、同じ場面の写真を大量生産するという弊害も生んでいるのだ。先述のインパラにしたところで、走り始めから一連の動作を全て撮り続けると、同一場面の連続写真が数十枚生まれる。

 さらに私の場合、撮影の時点では写真を後でどう使うかについてまったく考えない。そもそも日本において野生動物写真は、報道/商業写真のように特定のマーケットを持たないため、売り込み先だとか使用目的を想定した撮影をすることは極めてまれなのだ(写真集等を作ることがあらかじめ決まっている場合はその限りではないが)。故に先のことは一切考慮せず、その時々のフィーリングに任せてシャッターを切りまくってしまう。結果として、数週間のフィールドワークから持ち帰る画像点数が万単位というのも珍しくない。

 そして帰国後、残すものといらないものとをより分ける“セレクト”という、気の遠くなるような作業が待ち構えている。これが厄介だ。自宅のPCに向かってまず行うのは、ボツ写真の削除(ボツ抜き)だ。ピント位置がずれているもの、ブレてしまっているものなどを捨ててゆく。これがかなりの時間を要するし、長時間モニターとにらめっこをしながら、似たような写真の羅列を前にしていると、しまいに頭が混乱して正常な判断ができなくなってくる。

 しかもボツ抜きをする際の最初の基準を、ピントが合っているかどうかという一点にのみ置いてしまって果たしてよいのかという疑問もつきまとう。これは、一体何をもって写真の良しあしを判断するべきかという、極めて重要かつ難解なテーマに絡んでくる。完全に被写体がぼけてしまっていて、ワケが分からないものは別にしても、「ちょっとピンボケ」でも力を持ったよい写真が存在することは、偉大な先人たちが散々証明しているところだ。

 まして機材の持つ解像感が限界まで出ている写真をピントが合っているものとして定義した場合、ニコンD810で手持ち撮影をした写真はほとんどがボツということになってしまう。あのような超高画素機で最高解像度を引き出そうと思ったら、大型三脚に据えてシノゴ(4×5判カメラ)並みの扱いをしなければならないからだ。従って、私はセレクトの際にシフトボタンを押したまま(画像を等倍表示したまま)スクロールして画像を削除するという手法には反対の立場をとっている。ものすごく力のある写真をピントが合っていないという理由だけで削除してしまう可能性を否定できないからだ。

 では、よい写真、力のある写真とは何か? 第一印象だったり、構図の美しさだったり、基準はさまざま存在すると思う。結局のところセレクトは、写真の持つ“総合力”のようなものに目を向けて判断せねばならないような気がするのだが、これがまた実に難しい。何がよくて何が悪いか、何がきれいで何がそうでないかなど、あくまで個人の主観でしかないからだ。しかも、この美的感覚や審美眼に基づいた選択の結果は、同じ人間ですらその時々の感情や体調などにも左右されてしまうリスクをはらんでいる。

 客観的にセレクトを行うなら、その作業は撮影者が行うべきではないという意見もある。撮影者自身が選ぶと、どうしても撮影時の感情やこだわりが割り込んできてしまうからだ。私の経験では、撮影直後に行ったセレクトと、撮影から数カ月あるいは数年たち、ある程度中身を忘れた頃に行ったセレクトとでは、結果がまったく違うことがよくある。

山形豪 自然写真撮影紀
水辺に来たニシキスズメ。被写体が小さいので、トリミングしてある。ボツワナ、マシャトゥ動物保護区。絞り優先オート(F4.0、1/1000秒)、ISO1000、カメラ:ニコンD4、レンズ:AI AF-S Nikkor ED 500mm F4D II(IF)

 最終的な写真の用途が何であるかによっても残すべきもの、必要なものの基準が変わる。例えば、フォトライブラリー向けのストック写真としてならば、画面の中に文章を入れるスペースがあるものが“よい写真”または“使いやすい写真”となるが、写真展用の作品としては、これは画面上に余分なスペースがあるよくない写真という判断につながるかもしれない。さらに、トリミングすれば使える“素材”としての有用性を持った写真も存在する。JPEG撮りっぱなしではなく、レタッチを前提としたRAW撮影を行っている場合、レタッチや調整を加えた後の完成形をイメージしながら選ぶ必要もある。

山形豪 自然写真撮影紀
夜、スポットライトに照らされたトビウサギ。RAWからホワイトバランスやレベルなどの調整をかなり行った。ボツワナ、マシャトゥ動物保護区。マニュアル(F5.6、1/30秒)、ISO5000、ニコンD4、レンズ:AF-S NIKKOR 80-400mm f/4.5-5.6G ED VR

 一口にセレクトと言っても、さまざまな基準が存在するため、一筋縄ではいかないし、目を通さねばならないカット数が多ければ多いほど悩みの種も増える。フィールドで写真を撮っている間は楽しくて仕方ないのだが、HDDに溜め込んだデータのサイズと枚数を見た瞬間にいつもどっと疲れが出る。まあ、撮り過ぎは単なる自業自得なのであって、やはり1枚1枚を大事に、かつ気合いを入れて、一発で決めるつもりでシャッターは切るべきなのかもしれないが、チャンスを逃したくないという意識も働くので、撮影枚数が減ることは当面なさそうだし、セレクトをする上でのよい解決策も見つかってはいない……。


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